2008年7月 1日 (火)

最近の税理士さん

最近、結構他の税理士さんの税に関するブログを読んでいるんだけど、傾向が分かりました。

わかりきったこと書いてるブログが3分の1,勝手なこと書いてる(自分勝手な解釈)のが3分の1、残りがう~ん、なるほどね、という感じ。

私は勝手なこと書いてる部類なんだなぁ、とつくづく実感。租税法を少しでもかじってるブログを読むと、そうだ!と思う反面、違うだろ?と思ったり会話してる感じが面白い。そもそも税とは?の解釈は学説的には3種類くらいから始まってるけど、財産権の侵害であることは間違いないし、かといって、だから違法ではないし、このあたりで税を考えてるブログがあまりないことを発見しました。

情報発信ブログはそれなりに役に立つけど最新版を書いているのは数多くなく、読む人に誤解を与える面もあり、最新情報!なんてブログを書くんなら寝る暇なんかないはず。

憲法84条あたりを書いてるブログもあって評価出来るけど、そもそも、法の支配とデュープロセスから来てないと説得力がないことも実感。

結局自分は相変わらずなんだけど、来年はどうなるか、をあちこちで講義しなきゃならず、当たるも八卦、当たらずも八卦で、ばくち打ちみたいなものだと思うこの頃。

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2008年6月23日 (月)

人の会社

どうでも良いんだろうか?仕事をするってことは、関与先は他人でしかない?それでは相手も本気でつきあってくれない。自分の思い、財布、自分自身のことと同調して相手にぶつからないと所詮、会計事務所の都合でしかない、と私なら思う。

自分たちが自分たちの世界、勝手な思いこみ、逃げの立場ではお客様は、所詮その程度でしか自分たちを見てくれない。

どうやって自分たちの世界が生き残っていけるのか、他を思い、自は何なのか、と本気で取り掛からないと滑稽な、自分達だけの世界で納得して、相手が悪い、分かってないし理解してないから、という理由で納得してしまいたいんだろうね。

そんな仕事に何十年も自分を置いておけるんなら仕事辞めた方が良いね。

わたしゃ、そんな世界はまっぴらで、一生かけたこの場で納得していたいなぁ。

ちゃちな解説書いてるブログも多いけど、本気でこの仕事が好きなのか分からない。皮相的な説明は辞めて、自分自身の判断と勝負をかけたいね。

間もなく本気で租税法解釈を書きます。

反対意見ももの凄く多いと思うけど、解釈は自由で、異論も大歓迎。そろそろ租税法の大胆な議論をしたいなぁ。

くだらない租税官僚主義は辞めましょうーーーーーー

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2008年6月21日 (土)

久しぶりだな~

しばらくぶりで書き込みます。

今日は私の院生さんが二人、無事修士論文が国税審議会を通って、税理士資格をとれることになった。在学中も色んな壁があって、それぞれの苦労を乗り越えてスゴイ論文を書いた二人だったので、とても嬉しいし、心から彼女達(彼氏達ではないのは??)に祝福を言いたい。

我がアグスの職員諸君も、別に資格をどうのこうの言う気はないが、常に勉強と、研究体質を持って貰いたいなぁと思う。こなすこと、で終わって欲しくない、のが本音。

これからドンドン書き込みます。イヤなことも、良いことも、書き続けてみたい。

何のためにこの仕事を選んだのか、を突きつめるためにも。

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2008年1月26日 (土)

税・2題

武富士事件で2審ではやはり逆転判決。予想していたものの、いったい行政裁判はいつになったらすっきりと納税者が理解できる判断を下せるのか。納税義務者規定の濫用による租税回避的行為がこれからの社会、ますます増えてくる。形式的、あまりに形式的日数規定などを温存しているから、実に実態社会の動きに対応できないまま放置していることは、立法府の不作為責任と思える。

また、事実関係は変わらないのに裁判官の心証(形成させるのは課税庁の主張か?)で正反対の結論を導出される制度上の問題も見逃すことはできない。司法改革は合格者を多く出すことだけではなかったはずで、単なる規制改革の単純な機会均等とか、何でもあり、の姿勢を優先させていくと、格差と称される現状や人間の尊厳を二の次にする肌寒い社会を一層際だたせることにしかならない。

社会と生きている人間、制度にとって余計なお世話を規制改革はしてはならない。

 アメリカが急遽16兆円も戻し減税を実施する。それだけ経済減速の危機感と実態があるのだろうが、実に動きが速いし、納税義務者へ小切手で戻す、という消費行動への実効性を考慮した方法で行う、ことに未だやはりアメリカ衰えず、の感がある。

翻って、我が国では「暫定税率」という名前で数十年も続く道路財源各税の加算税率を巡り国会がほぼ遊んでいる。かたや、昨年廃止された所得税の「恒久的定率減税」がある。とても同じ日本人が使っている日本語とは思えない。

こんな感覚で国会が租税を法律化できるわけがなく、そろばん(今は違うだろうが)勘定だけで辻褄合わせをする官僚租税主義が、あるべき言葉の使い方、租税の理念、納税者の公平感、課税要件の明確さを全く無視しているのが日本の実態である。実に情けない限りで、これでは国外脱出組が増えるのも無理はない。

 柔軟性と猫の目、自由と放任を間違えてはいけない。司法への信頼性もいくら裁判員制度などを導入したしても画餅のまま、また別な方法に転換せざるを得ないだろう。

日本の、日本人が、多くの異なる世界の価値観をこの国土に受け入れる道は、放任された自由と称される機会優先の間違いを是正し、責任と義務の明確化を行政、司法の世界でも一貫することだ。コンプライアンス不況という言葉がやっとマスコミ等でも使われてきた。実は国民の大多数は実感していたことだろう。

税の世界、タックスコンプライアンスは法律である以上当然であるが、八百万の神々とともに暮らしてきた日本社会では、このままアメリカ受け売りのコンプライアンスの価値観は定着しないし、すべての面で硬直化と萎縮が進行するだけだ。

 規制改革など自分には無関係か、自己利益につながる委員たちが勝手に議論して、実態を知らずしてそのまま法的措置されるということが、この国を地図のない社会にしていることを気づくべきだ。

 第一次規制改革で今の社会が生まれた。同じ道をまた歩かせるのか。不易流行、今こそこの意味を実践するべきときだ。

そして、税は社会を維持する基本である。政治の遊び道具にしてはならない。

 

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2007年10月 8日 (月)

tainsより引用

下記は今年の8月の東京地裁判決(確定)の判決要旨をTainsから引用したものだが、至極当然の判示である。

著しく、とは法的にどんな範囲を指すのか、課税側の裁量で済む話ではない。ごく一般の市民の判断でおかしいものはおかしい。かといって、ガチガチにその範囲を法律で書くことも困難だし逆に意味がない。

この直前のブログで書いた思いがこの判決と直結している。今テレビで某早稲田の教授が社労士とか税理士とかの類、という発言をしていた。笑止千万である。生産性のないタレント学者は一昔前の知的生活のすすめとかを書いていた某教授と同じで、世の中のことを知らないのだから象牙の塔でひっそりとしていればいい。

幸い租税法の研究者、学者の多くの方々はそうではないことに感謝する。

今は亡きパバロッティのDVDを聴きながら・・・・・・・

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東京地裁 平成19-8-23    平成18年(行ウ)第562号贈与税決定処分取                  消等請求事件(全部取消し)(確定)(納税者勝訴)
 親族から土地の持分を買った原告らが、処分行政庁から、その購入代金額は相続税法7条の規定する「著しく低い価額の対価」であるから時価との差額は贈与とみなされるとして贈与税の決定等を受けたため、その取消しを求めた事案。
         判  示  事  項
1 相続税評価額と同水準の価額かそれ以上の価額を対価として土地の譲渡が行われた場
 合は、原則として「著しく低い価額」の対価による譲渡ということはできず、例外とし
 て何らかの事情によりその土地の相続税評価額が時価の80パーセントよりも低くなっ
 ており、それが明らかであると認められる場合に限って、「著しく低い価額」の対価に
 よる譲渡になり得ると解すべきである。
2 仮に時価の80パーセントの対価で土地を譲渡するとすれば、これによって移転でき
 る経済的利益は、その土地の時価の20パーセントにとどまるのであり、被告の主張す
 るように「贈与税の負担を免れつつ贈与を行った場合と同様の経済的利益の移転を行う
 ことが可能になる」とまでいえるのか、はなはだ疑問である。そもそも、被告の上記主
 張は、相続税法7条自身が「著しく低い価額」に至らない程度の「低い価額」の対価で
 の譲渡は許容していることを考慮しないものであり、妥当でない。
3 相続税法7条は、当事者に実質的に贈与の意思があったか否かを問わずに適用される
 ものであり、実質的に贈与を受けたかどうかという基準が妥当なものとは解されない。
 この基準によるとすれば、そのすべての場合において、実質的に贈与を受けたというこ
 とにもなりかねず、単なる「低い価額」を除外し「著しく低い価額」のみを対象として
 いる同条の趣旨に反することになるというべきである。
4 第三者との間では決して成立し得ないような対価で売買が行われたか否かという基準
 も趣旨が明確でない。仮に「第三者」という表現によって親族間やこれに準じた親しい
 関係にある者相互間の譲渡とそれ以外の関係にある者相互間の譲渡においては、たとえ
 「著しく低い価額」の対価でなくても課税する趣旨であるとすれば、同条の文理に反す
 るというほかない。
5 被告は本件土地については、賃貸人と賃借人との間に家族関係を基礎とした密接な関
 係があることをその主張の根拠とするようであるが、たとえそのような密接な関係があ
 るとしても、賃借人が賃貸人から独立した人格を有する会社であることを一概に否定す
 ることはできない。
6 特に本件土地上の各建物は原告ら家族とは全く関係のない第三者に賃貸されているこ
 とが認められるから、本件土地の取引に当たっては借地借家法等の法律上の制約が存在
 することが重要な考慮要素となると認められ、自用地としての価額から20パーセント
 相当額を控除することは、正当な評価方法というべきである。
7 当事者に贈与の意思や租税負担回避の意思があったか否かによって相続税法7条のみ
 なし贈与の適用が左右されることはないのであるから、売主の側の意思、意図を強調す
 る被告の主張は採用することができない。
8 負担付贈与通達にいう「実質的に贈与を受けたと認められる金額があるかどうか」と
 いう判定基準は、同条の趣旨にそったものとはいい難いし、基準としても不明確であり、
 「著しく低い」という語からかけ離れた解釈を許すものとなっており、その意味で妥当 なものということはできないが、結局のところ、個々の事案に応じた判定を求めている のであるから、上記のような問題があるからといってそれだけで直ちにこれを違法ある いは不当であるとまではいえないというべきである。もっとも、個々の事案に対してこ の基準をそのまま硬直的に適用するならば、結果として違法な課税処分をもたらすこと は十分考えられるのであり、本件はまさにそのような事例であると位置づけることがで きる。
9 以上の検討によれば、本件各売買に相続税法7条を適用することはできないというべ
 きである。

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27%の意味

今年の6月に東京国税局が公表した管内租税訴訟係属にかかる国側一部または全部敗訴の割合である。17年度は7%だったので、明らかに司法の姿勢が変わってきているのと、同時に課税庁が敗訴もあり得る訴訟覚悟の課税を行ってきている証拠でもある。

何も訴訟を推奨し、訴訟覚悟を納税者に強いるつもりはないので、我々は日頃の税務判断、タックスコンサルタント(単なる節税ではなく、こうすれば現行税法の枠の中で合法的に取引や行為をなし得る、というスキームづくり)にこそ、現状の司法の判断を大いに活用し、クライアントとともに知恵を絞る時代に入ってきたことを実感し、実践しなければならないということである。

法理論的裏付けもなく、声の大きさや、駆け引きで物事を決めようとする姿勢は所詮前例や先例とはなり得ない。法の世界に生きる立場を自らが放棄していることを知らずに「実務」という、得たいのしれない一種の馴れ合いですべてを動かせるという時代は終わっている。専門家、しかも法律専門家と自称するならば、取引、行為の前にその法的要件を後で誰にも論破されないように固めておくのが常識である。

訴訟はその後で、法的要件、要件事実の認識の相違が表面化するのであって、法的に何も準備しないで、前もよかったからいいんじゃないか、とか、実務では通っているから、などのレベルの仕事だけはしたくないし、クライアントに対する債務不履行でもあろう。

ここに経験、という大きな問題がある。経験の軽重、運の良さで何事もなく済んできた会計人は幸せ?である。自己実現が人生の目標ならば不幸ではあるが・・・・・

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2007年9月 7日 (金)

パヴァロッティ死すかぁ・・・・

ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなったんだなぁ。

ミーハー的オペラファンとしては寂しい限り。三大テノール公演が大好きで、初回のローマ、カラカラ浴場は朝早く誰も観光客もいない時間に家族で出かけ、まねごとなどして遊んできたが、公演のビデオなど観る度に同じ場所で同じ空気を吸ったことで満足した。ベンハーのロケ地がすぐ傍にあったことも感慨深い。

パリの会場は公演前ではあるが、何度かエッフェル塔からシャンゼリゼ通りを歩いたり、オープンカフェを楽しんでいたのでこれまた感慨深い。

東京の国立競技場公演はカミさんと二人で、バカ高いチケット買って出かけた。あれだけ高いチケットだったのに舞台は遠かった、というか競技場が広いというか、ただ同時刻に同じ空気を味わったのが想い出。

そういえばヴェニスのスモールキャナルでゴンドラに乗っているとき、両岸がアパートの辺りで船頭(?)のオヤジに、「誰も寝てはならぬ」をリクエストして唱って貰ってたら,アパートの窓から何人かのおばちゃんがベランダから顔出して歌い始めた。さすがイタリアだなぁと感心した憶えがある。

脱税疑惑やら公演すっぽかしなど、話題に事欠かないパヴァロッティだったが、なんか寂しい。これを機会に、原語でおぼえようか!と思うけれど・・・・多分挫折する様な気が・・

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2007年7月22日 (日)

セカンドオピニオン

先週、ある公認会計士さんから相談を受け、3日間考え続けた。それなりの学説、資料などから判断して、ペーパーにしようかと思ったが、先ずは判断結果をお伝えしようと電話をした。とても納得してくださって、喜んでくれた。

いつでも何か異論を課税庁が言ってきたり、無理な更正などしようとしたら、たちどころに文書で反論の用意があるとも申し上げておいた。

自分にとっても初めての事案だったので面白かったが、法的な判断をどう構成するのか、多少手間取ってしまった。サクサクとペーパーに出来なければならないな、と反省をした。

御礼にと、ン万円の商品券を頂いて、恐縮至極。

実質が法を超えるのか、法が実質を規定するのか、考えさせられた事案だった。

面白かった(^_^)v

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2007年7月 8日 (日)

嬉しい話し

セカンドオピニオンに掲載した課税庁への意見書について、早速税理士希望の妙齢の女性からメールを頂いた。目から鱗が落ちる思いだと。税理士は決算書や申告書を書く仕事、と漠然と思っていたようで、とても嬉しく、頼もしく読ませて貰った。

租税裁判は増加の傾向にあるが、コストも時間もかかるし、その前にきちんと司法判断をベースに、十分な資料を集めて事前解決出来るだけの力を持つものこそがこれからの税理士のあるべき姿、とお話しをした。覚悟の上に、裁判まで行ってしまう事例もあれば、その前に幾らでも理論的に、法的に解決出来る範囲の業務がある。

国も納税者もその方がずっとコストや時間浪費の面で得策であろう。要は、税理士、税理士事務所(法人)がその力と努力を意識するかどうか、である。

メールをくれた彼女曰く、理論の如何に大事なものか、受験スクールでの勉強は何なのか?

彼女のような実践派で理論的な力を持った人材がドンドン税理士になって欲しいと思う。

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2007年7月 5日 (木)

今日は在宅業務

色々各方面の仕事が重なり、幸い来客予定がなかったので自宅でなんだかんだ手をつけたようなつけなかったような一日が過ぎている。今日からHPが少しリニューアルされている。

セカンドオピニオンに実際の課税庁に対する意見書を2つ程掲載したが、監査課の全員が文書でしかも通達、Q&Aに頼ることなく、司法判断、自分自身の判断で正々堂々と、自信をもって仕事を楽しんで欲しい、と心から願う。

自分の居場所、仕事を楽しむかどうかは自分自身の心の置き方でしかない。人に上下はないが、組織には上下があり、だからといって人、人格を当てはめているわけではない。その辺を気づかない上司は失格であり、周りからも評価はされない。自分自身の自己評価ほど滑稽なものはない。

折角の人生、仲間、時間を共有する同志、思いやりこそが自分自身を高めるのであって、思い上がりは評価が下がっていること、を自覚しなければならない。

税、がそのひとつでもあるって感覚、持ったことあるかなぁ??

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