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2006年2月22日 (水)

歯科技工士 業種区分

いやぁ、第一審の名古屋地裁の判断こそがベストだと思っていたら、控訴審で見事にひっくり返ってしまって、サービス業たる証拠数字はTKCのBAST13年版を課税庁側が持ち出してきたのには、う~ンと唸りました。

税理士が監査済みの関与先の真の生情報統計ですからね、

親方日の丸課税庁本社なら業種ごとの平均など出せるだろうし、後出しはずるいな、と思って判決文読んでみたらTKCBASTでしたか。

この際日本標準産業分類のような統計目的の分類などをやめて、TKCBASTの数値を利用するよう通達改正でもしたら? 国税庁!!

裁判は喧嘩ではなく、理屈のつけ合いの勝負ですから(もっと専門的に言うと講義になるのでやめます)裁判官に納得しやすい証拠、資料を提示出来る方が勝つんですね。

理論的勝負に勝ち、事実的資料に負けた、ということでしょうか。

でも、いくら経費配分割合がサービス業に近似していても、民法上の契約関係からは患者と歯科技工士さんとの間で直接の役務提供契約は存在してません。ですからサービス業分類は法的に間違いです。

今度は逆の立場でTKCBASTで勝ちたいものです。先例は出来たのですから。

課税当局用に作り始めた訳ではないBASTですが、(私も編集委員やったことがある)納税者側にとっても強力な武器になることを実感させてくれた控訴審でした。

上告したのかどうかは知りませんが、少なくとも標準産業分類を使うことの不合理さは争って勝って欲しいものです。ありゃぁ、まるで説得力がありません。目的、趣旨の違うものを税の世界に当てはめようというのは無理だし、通達行政は租税法律主義に反します。

それにしても何でも使うのね、喧嘩相手は。  やっぱり喧嘩か・・・・・・・・・・・・・

2006年2月21日 (火)

このHPやブログで虎にこだわっています。まるで見た目は虎とは対局にあるのですが、単に寅年だということの他にもう一つ理由があります。

随分前に読んだ小説(もう廃刊でしょうが)のタイトルがとても好きで、万葉集で柿本人麿が壬申の乱での高市皇子(大海人皇子の息子)が戦う様子を詠んだ一節です。

 高市皇子の尊の、城上の殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首
                 

長いのでその部分だけ抜粋。 

   ~奉ろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任きたまへば
   大御身に 大刀取り帯ばし 大御手に 弓取り持たし
   御軍士を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は
   雷の 声と聞くまで 吹き響せる 小角の音も
   敵見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに
   差上げたる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば
   野ごとに つきてある火の 風の共 靡くがごとく~

  敵は「あた」と読むそうですが、一節は係り結び法の典型だそうです。

 読んだのは自分が資格を取り、独立開業を視野に入れていた頃だったでしょうか。虎にならなければ敵(=同業者あるいはマーケット)に勝てない、と認識していたのでは、と今では思います。

 このときの自分を忘れないように、今でも吼えられるか、吼えたい、との思いが虎にこだわりを持つ理由です。

ホントに吼えたら困りますがね・・・・・・・・・病院行きだ~~

  

2006年2月19日 (日)

租税法律主義

 昔々、税金は力のあるものが勝手に貢ぎ物として徴収を始めました。それ程昔ではない時代でも基本的には変わりはありませんでした。

 今は、憲法第84条で租税は法律として、つまり国会で決議された法律に基づいた税金だけが国民の納税義務(憲法第30条)の対象です。 国民は法律で「あるべき税」を真面目に、本当に実現してくれるであろう議員を選挙民として、納税義務者として選択する権利があります。そして議会がその機能を十分に発揮してくれた結果としての租税制度、法律ならば、やはり憲法で保障されている財産権の侵害だとしても、国民は憲法第30条の納税義務を負うことに納得できるでしょう。

  ここで租税の民主主義が成立するのです。

 ところが、この租税法律主義は反面機能としてとても怖い機能を発揮します。

それは、要するに法律にさえしてしまえば、どんな非論理的な仕組みでも、国民経済に負の影響を与えるものでも、あるいは国策であるはずの方向性に蓋をするような(税収確保のため)一見国策矛盾を引き起こす制度でも、租税法律主義の名のもとで正当化され、「あるべき税」とは関係のない税制を創り出し、法として強制力を持ってしまうことです。

 今、この国では議会で本当に「あるべき税」が議論され、検証されているのでしょうか?全く租税理論的に不整合なもの、最早役割を終えたもの、時代に追いついていないもの等々、多くの疑問が指摘できますし、最近は議会主義とは程遠い決まり方も目につきます。

 忠臣蔵の討ち入りじゃぁあるまいし、計画的に極秘に企画された不意打ち、しかもどこかにはその気配を情報として小出しにしてあるなどということは、憲法が予定していることでしょうか?

 そんな問題意識からこのブログを立ち上げました。真面目、不真面目(?)な書き込みや、話が全く違うテーマも出てくることは私の性格上、自分でも制御出来ませんので最初からおことわりをしておきます。

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