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2006年3月28日 (火)

ゆがみと手っ取り早さ

27日に18年税法改正案が参議院で可決、成立したので案ではなくなった。

 各種研修用でレジュメの用意をしているが、政令等が未だ公布されないので完成には至らない。あまりにも政令委任が多すぎる感じがする。

 白紙委任とまでは言わないが、肝心のところが政令等を読まないと分からない、つまり具合的な改正事項の適用条件が不明、というのでは十分な法律案として準備の上、議会提出したのではなく、とりあえず骨子を条文化しておいて、政令で実質的解釈なり、実は・・・ということを書けば良い、と思っているように見える。

 その後で通達が、えっ!という解釈をだす常套手段が待っているのだろう。ところで18年の改正は思っていたよりもごっつい。会社法の影響もあり、また、社会経済等の明かな変貌を反映した、机上の数合わせや、いかにも官僚的な思いつき(一部の学者先生の理屈が反映した)などが目につく。

 個々の税法が持つ目的、機能が混同し、租税の公平という基本法理はどこへ行ってしまうのか、と危惧が深まる。変化するのは構わないし、そのことが社会に応能し、進化の過程を経るためのものならば大いに歓迎したいところだが、今回の改正はそうは思えない。

せいぜい12~13頁でまとめようと思っていたレジュメが政令等待ちの段階で25頁にもなってしまっている。これじゃ折角聞いて下さる方々にも負担が重いだろう。しかも、改正項目のそれぞれの評価は各人まちまちである。納税者にとって大歓迎という論調もあれば、同じ項目で全く逆の評価もある。制度にゆがみがあるからだろう。

 税にゆがみがあってはいけない、また同時に、本質論を抜きにした手っ取り早さを採用しても結局は長続きしない。税とは直結しないが、中間法人法の廃止などもお笑いものである。

 いい加減にどっしりとした大法典をつくる意気込みで租税基本法を持つ国でなければならない。

 消費税は一切事業者が負担していない税である、なんて本気で大学で教えているプロパー研究者がいるウチはだめか。

2006年3月23日 (木)

流行の脳年齢チェック

誕生祝いにと、娘が任○堂の話題の例のヤツを脳年齢チェックのソフト付きでくれた。

未だ断じて、本気では挑戦していない。

酒が入っていたり、書き物をしてすごく疲れていたり、要するに言い訳出来る状況でしかやっていない。       

 というか、   怖くて出来ないのが本音。

酔っぱらっているときは80歳で大ショックを受け、書き物後の疲れて左脳だらけのときは60歳。う~んと唸ってしまう。

しらふで、本気でやって70歳ならどうしよう・・・という不安をぬぐい去ることが出来ないウチは多分なんだかんだと、先ずは言い訳を用意することが続きそうな予感が。

今日も大学院生の修論チェックと個別指導、改正税法のレジュメ作りなど、とても、とても疲れているのだから本当の脳年齢なんか出るはずがない!!

    と、先ずは言い訳を用意してと・・・・・・・・・・・・

全く余計なものが流行っているものだ。

2006年3月14日 (火)

増税感が・・・・・

 確定申告も一段落したところで、今年はやはり老人の部類に入る納税者の税負担が新たに発生または税額増加、という傾向がはっきりと出てきました。

 来年からは定率減税も廃止に向かうので、そもそもゼロか僅少な納税額だった人は何倍にも税負担が上がる、ということになる。加えて少額減価償却資産の30万円もつかえなくなると、業種によるけどやはり何倍かに増加してしまうところもあります。

 申告書控えに、「今年の申告について」というレポートをつけている納税者には殆ど同じような内容のこと、つまり来年は倍以上になります、なんてセンテンスが必要でした。

 消費税アップも近いことでしょうが、消費税は日本が成熟社会に入ったから必要、という理論があり、そうでなければ直接税たる所得税の超過累進税率構造が向いているといる説があります。

 格差社会の議論もマスコミ等では盛んですが、格差なのか、差なのか、まぁどちらでも構わないけど、本当に消費税中心の税制がが日本に向いているのか、議論があやふやなまま税率アップだけが取りざたされているのは異論があるところです。

 所得税の本来機能の一つである富の再配分効果は全く働かず、逆に集中と搾取の傾向にあると感じます。一定額以上の高額所得者への思い切った累進税率を採用することも考えなくてはならない状況でしょう。二元的所得税ではなく、二段階的所得税とでも言いましょうか。

 これを言い出すと必ず国は、高額所得者が日本から脱出してしまう、といいます。戦後間もなく貧困層が中心で南米等に大量に船で移住していきました。話は全く違いますね。高額所得者が一斉に国外脱出、しかも大量に、というのは言葉の遊びです。そりゃあ少しは脱出するでしょうが、良いじゃありませんか。出来る人はやれば良い。

 国内に残る大多数の国民が、高福祉なら高負担もやむなし、と納得できる国作りをするのが先でしょう。日本人プラス在留外国人(ますます増える)を納得させられる制度は困難な作業を要するでしょうが、やらないとフランスやドイツなどでの大騒ぎを日本もいつか経験することになります。先例が外国にたくさんあるのだから、持って他山の石とすべし、ですね。

2006年3月 2日 (木)

旭川国保訴訟・・最高裁って?

大法廷で判断というから、てっきり租税法律主義に反して違憲である!なんてことになるのだろう、と思っていましたが、何とまぁ、中途半端で行政の混乱を防ぐため、としか思えない上告棄却の判決。

新聞各紙や他のメディアも大きくとりあげていましたが、裁判官全員一致で反対意見もでてないんですねぇ。今度の選挙では真面目に裁判官審査で意思表示したいものです。今まで一人もダメ、ということになっていないのは却って不健全です。

そもそも、昭和54年秋田地裁、S57年仙台高裁と同じような事件があって(税方式でしたが)、どちらも租税法律主義に反する、という判決でした。せっかくの上告したのに和解となって結局最高裁判断はだされていないものでした。

それにしても、弁護士さんを探したのに誰もついてくれなかったとか・・・・・・・・・・・

弁護士がいないと税理士の出廷陳述権も発揮できませんから、結局一人で頑張った原告のおじさん。これが今の日本の司法の世界の現状ですか、フーッ(-_-)

住んでる場所によって税方式とか、料方式とか、あるいは条例できっちりと分かるところと役場前に一枚張り出される紙切れを読まないと、自分の負担額が分からないなどという制度が問題だし、これならいっそ連邦制とか、州制にして、住む場所を選ばせろ、ってことになります。アメリカやEUでは当たり前の世界でも、まだ日本では今のところ、どこに住んでも等しい権利と義務があるはずで(勿論市町村によって住民税の負担等は条例で異なりますが)、川一本はさんだだけで全く国民としての待遇が違うということではないのが原則ですね。

行政の都合ばっかり優先するような司法判断には正直ガッカリですし、租税法律主義に似てはいるなんて言い方はするもんじゃありません。

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