ゆがみと手っ取り早さ
27日に18年税法改正案が参議院で可決、成立したので案ではなくなった。
各種研修用でレジュメの用意をしているが、政令等が未だ公布されないので完成には至らない。あまりにも政令委任が多すぎる感じがする。
白紙委任とまでは言わないが、肝心のところが政令等を読まないと分からない、つまり具合的な改正事項の適用条件が不明、というのでは十分な法律案として準備の上、議会提出したのではなく、とりあえず骨子を条文化しておいて、政令で実質的解釈なり、実は・・・ということを書けば良い、と思っているように見える。
その後で通達が、えっ!という解釈をだす常套手段が待っているのだろう。ところで18年の改正は思っていたよりもごっつい。会社法の影響もあり、また、社会経済等の明かな変貌を反映した、机上の数合わせや、いかにも官僚的な思いつき(一部の学者先生の理屈が反映した)などが目につく。
個々の税法が持つ目的、機能が混同し、租税の公平という基本法理はどこへ行ってしまうのか、と危惧が深まる。変化するのは構わないし、そのことが社会に応能し、進化の過程を経るためのものならば大いに歓迎したいところだが、今回の改正はそうは思えない。
せいぜい12~13頁でまとめようと思っていたレジュメが政令等待ちの段階で25頁にもなってしまっている。これじゃ折角聞いて下さる方々にも負担が重いだろう。しかも、改正項目のそれぞれの評価は各人まちまちである。納税者にとって大歓迎という論調もあれば、同じ項目で全く逆の評価もある。制度にゆがみがあるからだろう。
税にゆがみがあってはいけない、また同時に、本質論を抜きにした手っ取り早さを採用しても結局は長続きしない。税とは直結しないが、中間法人法の廃止などもお笑いものである。
いい加減にどっしりとした大法典をつくる意気込みで租税基本法を持つ国でなければならない。
消費税は一切事業者が負担していない税である、なんて本気で大学で教えているプロパー研究者がいるウチはだめか。
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