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2006年7月21日 (金)

地裁の感覚

今日ニュースを見てたら、介護疲れ、生活保護の係官に無責任なことを言われ、母親を殺した息子の判決で、執行猶予がついたと報道されていた。

一体生活保護は誰がくれるのか?下らん下級官僚の狭量な世間感で決められているとしたら社会構造の大間違いだ。

もっと、はっきりとした基準と、状況を客観的に判断して、バカな職権で決められるようなことはないようにしなければならない。今のニートとか何とか言われている階層が、将来は生活保護を受けて生活しようとしている、という学者もいるが、それと、介護生活の本当の生活に苦しんでいる人たちを区分することは、民間なら容易に出来ることで、要するに自分の生活の何の心配もないと思っている下級役人の思い上がりと、これが本当は深厚な状況であることを知らない、知ろうとしない連中の今の姿である。

行政改革のアンケートが某大団体から来たが、その中にも、行政改革の本質の問題は?というのがあったので、人件費削減、人材削減と応えた。

大体、民間なら3人でやれること、やらなければならないことを5人、10人でやっているから今のような破産自治体が出てくる。なんだかんだ言っても、破産であることに違いはない。民間ならとっくに影も形もない。

あ~あ、役人にならなくて良かった。一時昔はそうなる可能性があったのだが、今は本当にそう思う。人のことは、住民のことは人ごとなんだから。

異論のある役人はどうかこれを読んで反論を。

2006年7月17日 (月)

つらつら思うに

改正税法、特に役員給与の考え方について、あちこちと研修をさせていただいていると、「やー法人税法も変わったねぇ」という感想を聞くことが多い。 研修でも話しているんだけど基本的に法人税法の、役員に対する報酬(給与)に対する考え方は変わっていないし、余計なお世話、という部分が広がったと感ずる。

確かに役員賞与は一定の条件下(余計な条件も多いが)においては損金算入を認める、という点では様変わりに見える。しかしながら、良く考えてみても見なくても、後出し賞与は認めない、という観点は変わっていないし、定期同額給与など、外形的で、支給方法に拘っている点など従来と本質的に何ら変わっていないし、却って減額の場合のみを明示したり、減額の例に経営環境の悪化などと説明されると、それ以外のケースでは認めないのか、と勘ぐってしまう。

税はヒト(法人格も含む)の経済活動や様々な要因で経営される経営体が課税対象であり、法で規制されるてはいるが、赤い血が流れる人間の思い、活動その結果に課税するものである。なんで一々税務官庁に届け出た範囲とか、形式論にばかり振る舞わされなければならないのか。

法は、本来ヒトの行動の規範であり、紛争の場合の判断基準であるならば、先ず、法ありきか、先ずヒトありきか、法律に携わる人間は心してあたらなければならない。

2006年7月12日 (水)

人ごと

ついうっかりとブログを書く暇もないまま、随分間が空いてしまった。改正税法やら会社法にかき回されていたと言うと情けない。これからの研修予定時間は11月までで合計50時間を超えているし、税法、会社法、判例研修その他、自分でもどうするんだろうかと思うほど。

1時間話すには3~4倍の準備時間が最低必要だが、幸い今年は例のバカな役員給与の改正があるので税法が多いから若干助かるが、その他のテーマも含め、常に最新情報を織り交ぜて、ということになるとかなりきつい作業が続く。

会社法などもいざ会社法に則した株主総会を開こうと思うととまどうことが多い。どこか前例があればとりあえずはマネしたくなる。昔、自分が会計を勉強した、ペイトン、リトルトンの時代が懐かしくてたまらない。あの頃の方が分かり易い、と思うのは最早自分が時代遅れの部類に入ってきたのだろう。けれども、六本木ヒル族の一連の騒動をみていると今の会計、税のあり方が節操もなく、言い換えれば日本人に合った考え方なのだろうかという素朴な疑問を払拭できない。

狩猟民族、移民多数の価値観同居の考え方と、決して単一民族ではないけれども、村八分のような差別的生活観があると言えども、小さい島国で形成された遺伝子的な価値観を持つ日本に何でも国際標準という名のアングロサクソンスタンダードが合うとはどうしても思えない。

みんなが、みんなそうだから、というお得意の人ごと、人のせい、にしてその日を送っているいる中で、殆ど毎日のように、昔の日本では考えもしなかった家族、弱者を巻き込む犯罪が、そして自分が目立てば、という犯罪が頻発しているのではないのだろうか。

一時はバブル真っ直中、あるいはバブル崩壊の失われた十数年の教育、環境のせいかと思ったこともあるが、どうも違う。

み~んな、人ごと、自分以外は自分自身とは無関係、という価値観、言い換えれば、先ずは人ありき、自分は人のために、という価値観が吹っ飛んでしまって、自分は、自分は、という主語(日本人は何でも英語をI amで言おうとするから通じない)で考えることの結果が今の社会を作っているからだと痛感する。

ひとごと=自分自身と同一視出来る自分でありたい。

それにしても改正税法を作った利口な頭の良い、世間知らずなバカ官○は早く世の中に出て、人ごとを知った方が良い。最近、まるで人ごとのことのように日本の行く末を語るえら~い方がいるのは早く何とかして欲しいものだ。

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