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2008年12月31日 (水)

変えなきゃ、日本!!

特に大晦日だから、どうと言う訳でもないがとにかく、未曾有(ゆう(^o^))の歳暦も終わるんだなぁ、とは感じる。確かに経済、金融、政治、行政、どれをとっても二流国家になっていた日本を実感した歳であることは間違いない。

チョット振り返ってみれば、特に国民が待ち望んでいた訳でもない郵政民営化に拘ったワンフレーズの小泉、これもワンフレーズで自分だけはキチンと蓄財をした公的資金導入ワンフレーズ竹中コンビによる、規制改革、グローバルスタンダードの波に国民が反対しなかった結果=有権者の責任なんだろう。

もう少し昔を振り返ってみれば日本的資本主義で世界と競争してきた時代があり、但しそれは物まねから始まり、安く、良質というイメージへと転化はしたが、雇用に関しては一貫してムラ社会的な抱え込みで保証されていた。

グローバリズムがアメリカイズムであったことはとっくにバレているし、規制改革の名の下に業績を拡大した会社が規制改革の法制化に影響を与えたこともとっくに国民は知っている。その結果が、今の日本をつくったことを。

今年、アメリカイズムが破綻に向かっているのははっきりした。あと半世紀、一極大国主義が歴史的に続くとは思えないし、案外基軸が変わるのは早いと思う。皮肉なことに、そのくらい予想を超える変化の源流はやはりアメリカイズムがつくった。

税制でも連邦レベルで日本と比べると、直接税中心と、直接税に間接税を組み合わせた日本との明確な違いがあり、一人勝ちは直接税中心だから出来た。ただ、だから直接税中心が危険、ということではなく、本来の税は所得=消費+貯蓄の計算式の両方にかけるべきではない理論だけで考えると、間違いではない。

適正課税論のようなものではご都合主義でしかないし、きっちりと、なにに税の本質をもとめているのか、が明確に納税者に理解できる税制が必要だ、ということである。

そうすると、= の両方全てにそれなりの税負担を求めるか、所得だけに求めるか(支出税のような机上の空論は学者の世界だけでしかない)、決めるのが政治であろうし、学会の仕事でもあろう。

二流国の政治は官僚行政任せでしか税制を作れない。今年の与党税調の大綱はありゃ、一体なんなんだ!!!

直接税中心が曲がりなりにもアメリカの一時の繁栄を支えてきた。生涯通算で逆進性がない、とかいう消費税認識を持っている社会を知らない学者の絵空事で議論してる政府税調ももはや本来の機能を失い組織疲労を今年露呈した。

馬鹿かっ!!生涯通算したら消費に対する税負担割合は究極的に誰しもが5%に近似するに決まっている。だから逆進性がない、という高給取りの社会知らずの学者がこの国をまたオカシクする。

あーあ、またテレビに出てるよ・・・・・・(>_<)

法人税と所得税も知らない財政学者、経済学者達が。

多分、続きへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2008年12月23日 (火)

今年最後の

飲み会でいつもの店にお世話になった。なんか一年分の心の荒れが出てしまったようで、申し訳なく思う。今年は思い通りにならないことが多く、それでいて忙しかった。こんな程度で自分が影響を受けるとは・・・・・歳のせいにするのは簡単だが、そんなものでは決してない!

人を大切に、そして自分も大切に、がモットーの筈が荒れてしまっている自分を今年最後の飲み会で実感するのは寂しい。

いつのまにか日本が2流国になり、経済、金融、政治ももはや自制心がない。

小泉、竹中当たりが源流だろうが、彼らは日本をアメリカにしたい政策をとり、アメリカになった途端に共倒れになるとは思いもしなかっただろう。今更、あのときこうすれば、とか言うのだろうが、水流の源を造った人間がなにを言っても戯言でしかない。

昭和30年代、乞食もいたし、村八分もあった。でもそのことだけでは誰も死ななかったし、殺しもしなかった。今は先ず個と社会の勝手な断絶の思いこみで関係のない人が殺され、その連鎖が続く。

地域、コミュニティ、余計なお世話、これが復活しない日本はひたすらアメリカになる。

税制が憲法上の財政機能を回復していないことも腹立たしい。憲法第7章の財政に84条が有り、租税法律主義が書かれている。財政の条文であるからには、歳入財源としての税だけではなく、歳出のチェックも含まれているのは当然である。

それもしない数千万人の納税者、とられる、とられる、と言い続ける納税者、この国に健全な国家の成立要件を語る資格が出来るのは一体いつなんだろう??

2008年12月15日 (月)

ごめんね、また猫で~

信じられん!たかが猫で落ち込んでる自分がいることが!!!

あいつは五月蠅くて、じゃまくさくて、ホントにやかましい猫だったのに、いなくなると気になる。どこにいるのか探したくなる。

出てこい、コラ!

命ってこんなものか、存在ってこんなもんですか、ミーチャン?

勝手に死で、こら猫!お前らの世界に憲法ってあったのか?あれは人間様の世界が勝手に造ったのか?

人の生き様を邪魔するような法律はばかげてるよな、猫?

未熟な租税法律主義の実体と闘う俺を、チャンと見てれよ!!!!! 猫。

う~ん、猫が死んだ。

夫婦共働きの少しでも償いになればと、娘に貰ってきた猫。すぐ祖母ちゃん専用猫になり、15年祖母ちゃんと喧嘩したり、雀を咥えてきたり、獣道を全うしたかの様だった。

祖母ちゃんが亡くなり、ウチで面倒見る!と口走ってしまったのが運の尽きか・・・

それから5年、最後には目も見えず、ヨタヨタと歩くのがやっとだったが、カミさんの膝の上が一番至福の場所であり、私の手の臭いを嗅いでから、持っているえさ(最後はイカリングの燻製)を無条件で口にしていた。

命とは、生命とは、をよく見せてくれて、考えさせてくれた猫だった。喧嘩もしたし、可愛がる振りもさせてくれた。受け入れてくれたあの獣には大いに感謝している。

情けないことに、先ほど野辺の送り(カミさんと二人きりだったけど)、滅多に人間の葬儀では涙も出ないのに、涙が溢れてしまった。なんであんな猫、獣に、と思うのだけれどあいつがいたから生活に変化、気遣いがあったのだと思うと寂しい。

人間の歳ならゆうに100歳は超えていたはずのあいつがいなくなった。

もっと、騒いで、うるさくして、面倒かけれよなぁ・・・・あの馬鹿!!!!!!!

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