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2016年3月21日 (月)

ん?消費税はどこへ①

 多くの国民が何やら変だなぁ、と思っている昨今の消費税の行方。
なぜノーベル賞学者の話を今頃総理自らがもっともらしい顔付きで聴いたのか?
附則とはいえ、絶対に来年は10%にすると決め、上げると断言していた表現が
リーマンショックや東北大震災などのようなことがなければ、という条件付きに
変わったのか、そして側近たちが否定的な発言をし出したのか。
 
 確かに来年2%とはいえ税率を上げると間違いなくアベノミクスは破綻するし、
景気維持どころでもなくなるのは間違いないと思う。
消費増税が決して全税収を増加させることではないし、生産が増加するのでは
ないことは常識だから相変わらずGDPはこの10年以上500兆円辺りをウロウロ
するのがせいぜいである。
決してGDPだけがこれからのこの国の安定と満足を評価するものではないし、
そうであって欲しくないというのが持論ではあるが、そもそも、もう金融政策は
打つ手がない状態でマイナス金利が決して日本だけで無いことをPRする現状
はその証拠であろう。
 
 消費税導入時はバブルがはじけた頃と重なるので、景気減速の直接の原因
だったのか良く分からないが、5%、8%としたときの暮らしの変化、景気の腰折れ
を説明出来るとされることは共感出来る。
 
同じことを来年また実施するのであるから、どんな状況が起こるのかは容易に
推定出来る。これを是とするか、非とするかの議論がどの程度の高まりを
見せるのか、極めて関心があるところであるし、そもそも軽減税率の議論は
もう終わったのか、軽減税率導入による不足財源4千億の調達に方針は
決まったのか、最近めっきりと報道もされなくなっていることに気づいている
識者は多いと思われる。
税としてもっとも着目されやすいのは、超過累進税率で、高額所得者が
より多くの税負担を、という所得税だろうが、現在の所得税は総合課税が
崩れているので、必ずしもあてはまらない。
高額所得者が得ている所得が分離課税対象であればあるほど税負担率が
減少している現状では、そのしわ寄せはより低い所得者にやってくる。
 
 参院選も近づき、民進党といういつか聞いたことのある野党が出来るようで、
小選挙区制ではあまり期待できないが、だいたいにして、どちらかにぶれてしまう
選挙制度がカリスマ的な選挙手法でどうしようもない議員が多くなってしまって
いる現状がいかにも日本的なのか、それとも日本には合わないのか、本気で
考える時期であることは確かである。
 
 来年の実施を延長等する理由は世界的な経済停滞もなり得るのだろうか?
もう少し考えてみたい。

2016年3月17日 (木)

人は逝く

今年はまだ4分の1も経っていないのに、業界や知人の訃報が続き、
つい先日は大好きだった叔母が長年の闘病の末に旅立っていった。
 
元気な頃の思い出が鮮明すぎるために、悲しみが増幅する。
特に面倒を見つ続けてきた身内の親しいものの悲しみを思うと、かける
言葉さへ、軽すぎと感じ思わず飲み込んでしまう。
 
そんなときに、昔の同僚二人がほとんど日を同じようにして命を落とした
との連絡があり、一人は早過ぎる驚きと、一人はいかにも本人らしい
逝き方をしたなとの感慨を受けた。
 
生老病死、この四苦からは逃れられないことは分かっていても、人は
その迎え方に大きな差がある。
 
「まだ生きたい」が最後の言葉だったとの106歳の話も聞いた。
「もういいよ」と若くして旅立った人の話も聞いた。
 
何が何だかわからずにこの世に別れを告げた人も大勢いるに違いない。
こんなわかりきったことを20分もかけて法話と称する葬儀の席に
出くわすと途中退席したくなることがある。
 
何十万年と繰り返されてきたヒトの死。
いざ自分の番、親しく、失いたくない人の番になったとき、自分は
どんな様を見せるのだろうか?
 
人生とっくに折り返しを過ぎた身にとっては他人ごとではない。
 
若くして、理不尽で、寿命などという言葉では納得できない死を
迎えた人々の、突然の人生最後の一歩、そして死への最初の一歩が
同時であることをどうしても説明などはできない。
 
人はいつか、いつでも逝く。
 
順番は守りたいなぁ、と思いながら・・・・・・・・・
 
 
 

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