人は逝く
今年はまだ4分の1も経っていないのに、業界や知人の訃報が続き、
つい先日は大好きだった叔母が長年の闘病の末に旅立っていった。
元気な頃の思い出が鮮明すぎるために、悲しみが増幅する。
特に面倒を見つ続けてきた身内の親しいものの悲しみを思うと、かける
言葉さへ、軽すぎと感じ思わず飲み込んでしまう。
そんなときに、昔の同僚二人がほとんど日を同じようにして命を落とした
との連絡があり、一人は早過ぎる驚きと、一人はいかにも本人らしい
逝き方をしたなとの感慨を受けた。
生老病死、この四苦からは逃れられないことは分かっていても、人は
その迎え方に大きな差がある。
「まだ生きたい」が最後の言葉だったとの106歳の話も聞いた。
「もういいよ」と若くして旅立った人の話も聞いた。
何が何だかわからずにこの世に別れを告げた人も大勢いるに違いない。
こんなわかりきったことを20分もかけて法話と称する葬儀の席に
出くわすと途中退席したくなることがある。
何十万年と繰り返されてきたヒトの死。
いざ自分の番、親しく、失いたくない人の番になったとき、自分は
どんな様を見せるのだろうか?
人生とっくに折り返しを過ぎた身にとっては他人ごとではない。
若くして、理不尽で、寿命などという言葉では納得できない死を
迎えた人々の、突然の人生最後の一歩、そして死への最初の一歩が
同時であることをどうしても説明などはできない。
人はいつか、いつでも逝く。
順番は守りたいなぁ、と思いながら・・・・・・・・・
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