9月6日・・・思い出の連鎖
今日は9月6日、過去に例を見ない猛暑の勢いも流石に峠を越した様な空である。
2018年、3年前のこの日は大混乱の日々が始まる初日であった。
胆振東部震源のあの地震、そして夜からの本格的なブラックアウトの始まり。
火力のみ、一電源にあまりにも依存するライフラインの脆さに愕然とした。
1923年(大正12年)9月1日、あの関東大震災が死者行方不明約10万5千人。
9月は何かと大地が揺れる。
身近な防災意識とリスクが明日にも来るかも知れないとの前提で準備が必要だ。
今、手元には中央経済社発行の雑誌。「税務弘報」10月号があり表紙に私の名がある。
昨年逝去された山本守之先生を偲ぶリレーコラム、私の出稿した号である。>>目次
守之先生との思い出は数多く、このブログでも何度か書いてきた。
改めて雑誌掲載を機会にこのブログでも随時思い出を書いてゆきたいと思う。
もう一つの9月6日。
1960年、当時10歳の私が親元を離れて札幌のある医療系施設に入所した日でもある。
ザ・ピーナッツの「情熱の花」が流行している時期、親とテレビ塔、当時の
ステーションデパートの地下でお寿司を食べてから親離れの生活を始めた。
この日から、今の私自身の形成がスタートしたと言える。
何かとこの時期になると思い出されるのは・・・・・歳のせいか・・・・・・・
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