山麓の歳月、血税
藻岩の麓に住んで、あと数年で半世紀になる。その記憶は税理士として生きてきた歳月に重なる。
木の根開け、辛夷満開からの新緑、濃緑の藻岩山の移ろいをその年数だけ見てきた。
災害級の雪害は終わりを知らないのでは無いか!等と憤っている間に辛夷の芽吹きが。
とてつもない自然のサイクルに安心と驚異を感ずる。
大好きな6月中旬の山麓の風景を待ちわびている自分の心は、衰え始めているフィジカルを
どう認識するのか。
幸いにして、この国に生まれて直接の戦争を身近に経験してこなかった。
ただ、とんでもない係争地に住んでいるという歴史観は大事にしたい。
いつ何時、何が起きるのか、その備えと意識の具体的充実性が急がれる。
この国があるのは、領土、国民、主権が存在するからであり、国がなくなれば国民もいない。
血税という言葉がよく使われる。
血を流すようにやっと稼いだものにも税金は無慈悲に取り立てる、と言うような意味で使われる。
血税、その本当の意味は、徴兵制・・・・・・つまり、命、血を持って国家に捧ぐということ。
どうでもいいようなちゃちな税制論議に簡単には使ってほしくない言葉である。
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